2007年03月11日
先輩、M氏と昔話
旧浜北市根堅の「M」氏夫妻が久し振りにご来店。
先輩との出会いは35年ほど前の事・・・
私は小学生時代、身体が弱く、発熱でしょっちゅう学校を休んでいました。
いろいろと調べるうちに「リューマチ熱」という診断をされ、小学5年生の春から天竜荘(現天竜病院)に入院し、県立天竜養護学校に通う事になりました。(1年1ヶ月いました。)
当時は今の病院のように施設が整ってなくて、戦後のサナトリウム(結核の隔離病棟)として使われていた木造の古い病室でした。
そこに小1から中3までの喘息、リューマチ熱、腎臓病などの子供達が親元を離れ闘病、勉強していました。
けっこう遠くから来ている子供達も多く、低学年の子達の部屋からは夜になるとホームシックで泣いている声が聞こえてきたものです。
みんな月に一度の親との面会日を指折り数えて待っていました。
その時だけは好きなお菓子を親に買ってきてもらえるのです。
また親に会えない淋しさに耐え切れず、山から脱走する子供たちも後を絶ちませんでした。
でも、みんな西鹿島の駅で先生に捕まって返されてしまうのです。
私が入った時は5年生、Mさんは中3でした。
小5から見た中3の先輩達は、もはや大人であり、近寄り難い雰囲気と甘えたい頼もしさがありました。
特にこの先輩は下級生に優しかったのを良く覚えています??
再会したのはいまから14年ほど前、ご結婚されるちょっと前に偶然二俣の店に来てくれて・・・・
「どこかで見たことあるな~~??」
と思いましたが、お互いすぐに昔の事思い出し、懐かしく話しましたね。
2年前にその当時入寮していた方たちと当時の先生達がたくさん集まって同窓会を開いたそうです。
先輩!今度は行くからね。また飲みに誘って下さいね!
Posted by まこちゃ at 14:09│Comments(1)
│ご来店のお客様
この記事へのコメント
はじめまして。
天竜養護のことを知りたくて調べていたら、ここにたどり着きました。
昔は、入院しながらの学校だったのですね。
私が小学生のころに、幼馴染の友達が喘息で、1年ほど善通寺病院にいました。
時々会いに行くのですが、いつも親に、「病気でもこうやって一生懸命頑張ってる子がいるんだよ!」って、私の怠けている様を言われたものでしたが、その大変さが、病気の子を持って初めてわかるようになってきました。
天竜養護のことを知りたくて調べていたら、ここにたどり着きました。
昔は、入院しながらの学校だったのですね。
私が小学生のころに、幼馴染の友達が喘息で、1年ほど善通寺病院にいました。
時々会いに行くのですが、いつも親に、「病気でもこうやって一生懸命頑張ってる子がいるんだよ!」って、私の怠けている様を言われたものでしたが、その大変さが、病気の子を持って初めてわかるようになってきました。
Posted by かか at 2007年04月16日 14:00